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それでも、貴ノ花の味方 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 私は、何があっても貴乃花の味方なのだ。
 今回の退職騒動は、もちろん相撲協会にも多くの非があるのだろうし、そこを追及することはしてほしいと思うけれども、相撲協会も組織である以上、組織の鬱屈というものをある程度は抱えざるを得ないのであって、そこに個人の純情をぶつけても、解決策は見いだせないことがある。これは組織が悪で個人が善だ、と言ってしまったところで、人は社会を形成しなければ生きていけない以上、解決不可能な問題で、そこに抜本的な解決を求めようとすれば革命しかなく、そうでなければ折り合いをつけていくしかない。その、「折り合いをつける」というのもけっこうな勇気なのだ。
 そして貴乃花の今回の振る舞いは、いささか子供じみてもいる。「告発が事実無根だと認めなければ一門への所属を許さない」というようなことを誰かが言ったのは事実なのかもしれない。ここまで関係がこじれた以上、有形無形の圧力と受け止められるようなことがあった可能性も極めて高い。だが、それをもって、自分の良心との闘いの末に退職を決意した、というストーリーが美しくみえるほど、相撲協会が悪人なわけでもないというのがいまの状況だ。ただただ、断絶の溝が深く、貴乃花自身が協会に対して己の立場を語ったこともなさそうだ。

 だからこそ、である。私はあくまで貴乃花の味方だ。
 味方である最大の理由は、貴乃花が知己なわけでもなく、縁故があるわけでもなく、ただただ、同い年である、という一点に尽きる。昭和47年生まれという同世代の苦悩を、彼はひとりで背負って生きてきた。角界というある種閉鎖的な実力社会のなかで、ダイナスティと呼んでもよい一族に生まれ、そのなかでも特異に相撲道を純粋化する存在として綱を張ってきた。
 ここまで書いたとおり、組織と個人には必ず軋轢がある。そして実は個人は時代の中で生きてきており、個人もまた時代という「組織」の中の一員に過ぎない(このことはなかなか意識化されない)。この軋轢を意識化し、自分で孤高に闘う実力と覚悟を引き受けたのが貴乃花だった。 昭和47年生まれというのは、もう50歳をのぞむおじさんだが、戦争の記憶が一段落した年に生まれた世代である。沖縄が日本に返還され、戦後日本が一応の常態に至った年である。あさま山荘事件で、連合赤軍をはじめとする左派革命運動(のようなもの)の凄惨な自壊と敗北が明らかになった年でもある。情緒多感な青年時代にはベルリンの壁が崩れ、バブル経済が絶頂に達し、昭和が平成に移った。もちろん、敗戦ほどの大きな変革ではないにせよ、戦争に負けた日本がその精神性において、長い戦後の精神性を脱していいのではないか、脱することができるのではないか、そう思わせる時がやってきたのだ。
 その一瞬に、世代と時代のヒーローに躍り出たのが貴乃花だった。いまも相撲ブームといわれるが、あの若貴時代にはとうてい及ばない。平成3(1991)年夏場所初日、結びの千代の富士対貴ノ花は大げさでなく日本中が息を詰めて見つめた一番だった。かつて、高度成長時代の大ヒーローだった父・貴乃花に若き千代の富士が勝って引導を渡した一番の、世代を替えたリベンジマッチは若き貴ノ花の完勝であり、まもなく千代の富士は引退する。女性誌の表紙を飾り、絶頂期だった宮沢りえ(貴乃花が二十歳、宮沢りえは19歳だった)の婚約とその破棄。貴乃花は世代と時代のシンボルに相違なかった。
 シンボルはしかし、時代に翻弄される。花はいつまでも誇らず、バブルはいつまでも続かない。貴乃花はその実力に反してなかなか横綱昇進を認められず、横綱になった後は怪我と心の乱れに翻弄された。よくぞそれで22回もの優勝を勝ち取ったものだと感心する。二十歳にして上り詰めた世代と時代の華やかなシンボルは、五年後には、衰える世代と転落する時代のゴシップ的スケープゴートと化していた。
 そのさまは、組織と個人の相剋という変わらぬテーマに、貴乃花ひとり孤高にぶつかっていく体になってきた。小泉首相の「感動した!」で有名になった、怪我を押して出た武蔵丸との優勝決定戦。しかしその後の休場を横綱審議委員会から咎められる事態。戦後の価値観を知りつつ戦後の価値観に参与できず、しかし、戦後の価値観を知らないさらに若い世代からは理解を得られない。一般社会に置き換えれば、上司のいうことが古いと知りながらそれを忠実に達成するものの、自分よりも下の世代は上司のいうことを聞かず、その矛盾を一身に負わされる。この世代には誰にもそういうところがあり、そして世代のその苦悩を、常に一身に体現してきたのが貴乃花だった。

 この世代の苦悩の解消は、貴乃花的にまっすぐに貫くか、それとも器用にマルチになっていくか、という二択でしかない。後者のシンボルはTOKIOやSMAPなどのジャニーズタレントだ。かつての戦後的価値観からはおよそタレント(才能)とは言いがたいタレントたちが、しかし、芸能界でプレゼンスを占めているさまは、それなりに勇気づけられるものである。とはいえ、そのTOKIOやSMAPですら、時代の軋轢を引き受ける中で順調ではない。
 貴乃花は、それを一身に引き受けた。あとは心の故郷に帰り、子どもたちと遊びながら、私たちの世代が持っていたはずの「原郷」を古人よろしく遊んで欲しい。ずいぶん大人の世界に揉まれたから、その純情を子どもよろしく磨いて欲しい。かつての良寛上人や西郷南州のような、日本人の古層の姿を、私たちの世代のヒーローとして、シンボルとして、先達として歩いて欲しいのである。私は貴乃花が大好きだ。
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