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ふるさと納税というゲーム [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 ふるさと納税に総務省が文句を言っている。本来の趣旨とは違う、ということだ。
 そもそも納税、住民税の納税は、自分が住んでいる自治体に納付するのが本来である。
 地方公共団体の行政を「サービス」と呼ぶのは本質的にはどうかと思うが、「住民サービス」という言葉も根付いてきたので今日はそう呼ぶことにしよう。その意味でいえば、住民税とは住民サービスの対価である。もちろん対価といっても、そこは公共団体なので、自分に直接返ってくるサービスもあれば(日常的なゴミ収集業務とかはそうだろう)、自分というよりは共同体全体に資するサービス(教育などがそうだろう)もある。しかしいずれにせよ、自分か、自分が住んでいる自治体というコミュニティに対してのサービスを支えるのが税金である。
 ふるさと納税は、この原則から外れる。外れた以上は、具体的な住民サービスとは異なる、各自治体によるサービスの”努力”を促すことになることは理の当然である。ふるさと納税と銘打ち、「故郷を思う感情」に基づく制度のように思わせてはいるが、実質的には故郷とは関係なく、各自治体がサービスの競争をおこなう場を設定している。
 これは、総務省が何と云おうとも、この制度の本質だったはずなのである。日本の多くの自治体は、国や都道府県からの交付金なしには生きていけない。しかし、交付金という仕組みは安定財源に過ぎて、各自治体の自助努力を促さない。だから交付金以外の収入の仕組みを作り、いわば商売を促す(その商売に「ふるさと」の彩りを添えることが条件だが)ことで、国が関わる余地を減らそうとする制度であることも疑いがない。
 そのサービス競争がいささか過度になりすぎているのも確かだ。今回、公然と総務省に対して文句を言っている泉佐野市は、自分の地元の産品でもないものを返礼品としていわば「売り出している」。総務大臣は「もっと故郷に目を向けろ」というが、泉佐野市の「コメ、肉、カニ以外の産品を出しても売れはしない」というコメントも正鵠を射ている。一度作ったゲームが、ルールの不備によって思い通りにならないからといって急にレフリーが登場するのも困った話だ。ここまで”競争”の努力をしてきた自治体からすれば「裏切られた」感じがする。
 総務省の志が間違っていた、というほど大きなことでもないがいかにもルールが緩かった。人がどう動くか、ということに関心がなかった。国の志とは別に、人も自治体もルールに則して合理的な行動をする。そのことに意識が行かなければ政治は難しくなる。最近、そうしたことが多すぎる。
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