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「民放のNHK」のNHK観 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 久米宏がNHKに生出演して、NHKは国に首根っこを抑えられているから民営化すべきだと言う話をしてそれなりにネットで評判になっていた。NHKは昨今政権に偏向報道を余儀なくされている、という不満がある人にとっては溜飲が下がる話に違いない。
 長く放送に携わっている人間から見ると、この久米宏の喋り方は、何とも言えず、古き良きTBSの物言いだ。TBSは長らく、民放の中では放送の公共性を最も担う放送局であるという自負が強かった。報道のTBSであり、ドラマのTBSであり、エンターテイメントのTBSであった。よくも悪くもTBSにはラジオ東京から出発して戦後の日本の放送特にテレビのあり方を開発してきたという自負もあり、いわば、「民放のNHK」として、NHKなど存在しなくても10分自分たちだけで放送の公共性になっていけそう自信を持ってきた過去があった。
 もちろんそれにはそれなりの実績も伴っている。後にテレビマンユニオンを作ることになる萩本晴彦、村木良彦、今野勉らは言うに及ばず、ザ・ベストテンも作りながら名作と称される「岸辺のアルバム」を演出した鴨下信一、ハノイからのリポートを出したニュースコープ等々、十分その名に値する実績もあったのだ。
 しかしそのようなことをいう人は今はTBSにも少ない。何故かといえば、TBSは、1995年のオウム事件の時に明らかになった、放送前に事前に編集VTRをωオウム真理教のメンバーに見せていたことが大きな傷となったからだ。日本の放送局には多かれ少なかれ放送倫理にもとるような事は過去何度もあったけれど人の命に放送倫理が関わった事はテレビ朝日のアフタヌーンショーのヤラセの一見とこの事件だ。ニュース23のキャスターだった筑紫哲也は「TBSは死んだ」とまで述べた。そこには「民放のNHK」の気概はなかった。
 その後もTBSはいい仕事をしているが、NHK批判は影を潜めた。そのような批判では、TBSの歴史はどうしようもなくなったのだ。そのどうしようもなくなったTBSの歴史に実直に向き合って仕事をしているたくさんの人がいることも事実である。TBSのいい仕事を否定するつもりもない。しかし、昔ながらのNHK批判をTBSの口から聞くとき、あのオウム事件の影がよぎる。歴史を忘れたかのように軽く口を開く人は、まだ他にもいる。
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