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「いだてん」とカタルシス [観趣庵-詠聴に遊ぶ草庵-]

 「いだてん」を見て、面白いのに大河ドラマとしては何かがない、と思い続けていたが、ようやくピンと来るものがあった。カタルシスがないのだ。
 大河ドラマがこれまで作ってきた、勧善懲悪でもいいし何でもいいなら自分が何かを相手に投影できるようなイメージになり切れないのである。下世話な例えだが、織田信長を大河で見て月曜の上司が急に強権的になっていたり、西郷隆盛を大河で見て急に人格者になっていたりするようなものがないのだ。
 だからといって「いだてん」がつまらないドラマではない。脚本もよく練られているし、豪華出演陣の演技はひとつひとつ、面白さもあり味わいもある。ただ、カタルシスがない。
 フェイスブックやツイッターで盛り上がる人は多く、論戦論破は相次いでいるが、SNSにおいて論争に勝利しても残るのは疲弊感のみである。勝利がカタルシスに結びつかないのはたぶんこれからの文化の問題の一つ、物語の疲弊という文化的課題のひとつのはずだ。「いだてん」はきわめて現代風にできていて面白いのだが、カタルシスがない。コンテンツに高揚感が失速しているというのはデジタル時代の新たな、そして最大の課題なのではないだろうか。
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