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平成の頭と終わりを紐に締め [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 平成の終わり、そして令和の始まり。言祝ぎには相違ないが、この三十年を簡単に振り返れば、何か始まったようでいて、そして何も始まらなかった時代だった。平和な時代ではあったが、凡庸な時代といえなくもない。貶すつもりはなく、若き日に平成の始まりを見て、老境を垣間見る年にその終わりを観望する苦しみと重みがすっかり骨身に染みついているからだ。
 多くの振り返り番組が伝えているように、平成の始まりは何かの断絶と変化とともにあった。昭和という時代はそれほど日本人に重く、そして戦争の記憶とそこからの回復という質感がのしかかっていたが、それが終わるという重さを昭和天皇の進み行く病状と崩御に積みおくようなものであった。その衝撃は大きかったけれども、しかし、新天皇の即位は新たな時代の到来でもあったわけだ。
 それは事実、として続いてきた。6月の天安門事件は、人民解放軍による鎮圧によって民主化中国をもたらしはしなかったけれども、しかし、かの共産中国が別の胎動をはらんでいることを伝えた。10月のベルリンの壁の崩壊は、何よりも、東西冷戦という戦後50年にわたって世界の基本構造であり、そして核戦争数分前という布告によって重苦しく人々の意識を抑圧してきた構造が壊れたわけだ。
 冷戦構造が崩壊し、核戦争が遠のいて、現実になったのは平和だけではない。何より、「自由」だった。自由主義社会が社会主義社会に「勝った」のである。このことは、単にイデオロギーとしての勝敗にとどまらず、まさに「自由」を謳歌する時代がやってきたことだった。人々の価値観やモードも自由になっていく。プリンセス・プリンセスがガールズバンドの常識をぶっ飛ばしてベースラインから曲を始めても、そしてもちろん、尾崎豊が夜の校舎窓ガラス壊して回っても、すべてが、その数年前から胎動していた「自由」への渇望が噴出していた。
 「自由」とは、何とも難しい概念である。平和とか正義とかいったことを除けば、自由主義社会と社会主義社会の闘いとは、社会が人を何によって制御しうるか、という問題をめぐる闘いだった。社会主義社会においては、いまでも共産党や労働組合が同様のしくみをもっているのだが、社会があるいは歴史が進むべき「正しい」方向性を「人が決めることができる」ということになる。
 これは、人間の可能性を信じる近代的、進歩的価値観の当然の帰着のようにも思える。いかにもロマンティシズムで、ドラマティックである。ただし、人間は神様のように正しい方向性を決められるわけではない。神不在の地上においては、やはり欠点を持つ人間が正しさを決めるよりほかない。それは誰が決めるのか。議論して決めるのである。そこまでならいいが、やがて議論しても決まらない場合は、組織のトップとして選出された一人の判断が最終的には正しい、ということになっていく。そしてやがて、その一人の判断に誤りがなかったことを証明するために、多様性が失われ、人々は「そのように考えるべきだ」ということを求める制度ができていく。具現的にいえば国家は肥大化し、人々を圧迫する。歴史が正しく進む方向であれば、個人の犠牲は厭わない。これがヒトラー、スターリン、毛沢東らから始まる、近代の共産的独裁のかたちだ。人間の可能性を信じて突き詰めるからこそ、一人の独裁を生み、正義を押しつけ、自由を奪うという論理矛盾。この論理矛盾が70年も続いたのだ。
 一方で、自由主義は一言で言えば、「正しい」方向性を「人が決めることができない」という観点に立つ。ただしここから先は幅が広い。この「人が決めることができない」ということを諦念的に捉えれば、「なので、正しさはそこまでの歴史や経験に依存しながら判断すべき」ということになる。これが保守主義と呼ばれるものだ。一方で、「人が決めることができない」からこそ、「人が自由に活動し、そこでは勝敗もあるけれども、その結果が正しい方向なのだ」と捉えるのが、いわば真正の自由主義である。
 実際の冷戦下では、保守主義が最も人々の自由を抑圧し、社会主義は人間に優しい、人間にとっての可能性を認めた思想であり、そして真正の自由主義は自由ではあるかも知れないが、敗者や弱者に冷たい残酷なものだ、というところが世の中の一般的な、少なくとも知的な人々にとっては当然の捉え方だった。それは1980年代に至り、ソ連や東側諸国の失敗が誰の目にも明らかになっても、日本では変わらなかった。若者たちにはその姿が見えていたにもかかわらず、である。社会主義こそが、結末としては、人々から自由を奪い抑圧するものであり、日本でそれが知的に見られるのは、せいぜい野党的な批判勢力にとどまっているからだ、ということがわかっていたにもかかわらず、である。
 付言しておけば、これは政治思想のみの話ではない。これは、国家予算などを含めた、社会にあるリソースをいかに適切に配分できるか、という経済的な側面でもある。そしてほぼわかったことは、社会主義において人が「正しい」と考える、国家によるリソース配分はおおむね非効率的であり、無駄が多く、結果としては失敗するということである。自由主義や保守主義が正しいとは限らないが、少なくとも社会主義に比べれば、まだしも適正で合理的なリソース配分が可能になる、ということも明確になった。
 その明らかさが、1989年、平成元年に噴出したのである。ベルリンの壁が崩れ、XJapanは「紅」を殴りつけるように演奏し、東証株価は40000円目前で、バブルの絶頂を迎えていたのである。自由の謳歌はそこまで来ていた。正義を騙った国家システムに依存しない平和と権利、自由でありながら多様に構築される社会、個人の尊厳と責任を尊重する歴史へ、扉を開けたような時代だったのだ。と、少なくとも若かった自分は期待したものだった。

 それから三十年。そのなかには、言葉どおり未曾有の大災害があった。経済的な停滞もあった。ただ、ここで言いたいことは、つまりは当時若者で、あの扉が開く音に期待を持ち、いまは四十半ばになって社会に失望している男子からすれば、「自由」はまったく近づかなかった、ということだ。どちらかといえば国家というシステムがインターネットという外部化された内的世界と隠微に結びついて、重々しい抑圧を空気のように課した時間だった。
 最も象徴的だったのは、平成に起きた二度の政権交代、非自民政権の成立である。これは、「55年体制」と呼ばれる状況下、アメリカと結びついて現実を担う自民党に、人間の可能性に基づく正義を野党がぶつける、というのが日本政治の基本的な構図だったのだが、その構図も疲弊していた。単に正義をぶつけるのではない、単に少数者の立場に立つのではない、まさに「自由」な概念の中で自律した、相手に依存しない政治が立ち上がるのではないか、それが二大政党制につながればなおよいのではないか、という期待ははかなくも裏切られている。大きな力になる可能性を見いだせない野党が、より強い「正義」を求めて他の野党と鎬を削るのが最大の政局だとするならば、健全な民主主義はとうてい期待し得ない。
 マスコミも同じだ。平成の始まり頃、マスコミが政治を圧したか、と感じるような場面があった。平成5年の最初の政権交代、8党連立政権の誕生は、テレビなくしてはありえなかったといっても過言ではない。それは、「55年体制」をメディアが動かしたと同時に、実は「55年体制」にたっぷり依存してきた日本のマスメディア、人間の可能性とそれが裏切られている弱者の存在に立脚し、「正義」を現実にぶつけることで生業を重ねてきたマスコミ自体も、その体制から脱却できるか、という問いだった。しかしそれから30年、インターネットの登場によって相対的に地位が低下するなか、マスコミの言説はますます平成前に回帰しつつある。そのことでしかプレゼンスを維持できないかのようだ。政府を批判する言葉はある。しかし、その批判がパターナリスティックな国家権力の強化を、国家というシステムの強化を逆に招いているということにはまったく無自覚だ。そしてさらにわずかに残った語りやすい悲劇、弱者を掘り起こし、言説を自立させることに一生懸命だ。その構図では対応しきれないほどの悲惨や悲劇が世の中にこんなにもすでに溢れているというのに。なのに、どんなに、何を語っても、あれだけ罵倒する相手である政権がいっこうに倒れる気配がないことに気づく気配もない。
 人々の自由は、むしろ旧来より奪われている。インターネットは、自由な価値観を持ち自立した個人が使う「道具」を越え、人々の価値観をコントロールし始めているのではないか、と疑うに十分な状況である。グーグル検索の上位にある情報が価値ある情報と見なされ、経済的にも意味があると見なされる。しかしネットにない情報は参照されないのはもちろんのこと、それが単なるデータなのか、編集がかかって意味づけされた情報なのかも判然としない。画一化とランキング、そしてその上位に来ることが勝者と見なされた。新しい価値はほとんど生み出されていない。

 平成の失望を反省するとすれば、もはや「社会主義か自由主義か」といった中身ではなく、そのスケールの問い自体が意味をなさなくなっている、ということにもっと早く気がつくべきだった。それは古いナショナリストという自分の責でもある。国家の規模で考えることが意味をなさず、しかし、それゆえに個人は以前よりも国家に依存せざるを得ないという状況下、その叫びをナショナルなサイズで受け止めることにすでに意味がないのだろう。次なる自由へ向かう。しかしそのためには、凡庸で平凡で画一化された社会に背を向け、自らを自らたらしめるよう一所懸命になるしかないであろう。ナショナル時代には救い得た人を救えなくなる。その正義から目を背ける代わりに、多くの人が自由へ向かう動きができるような、そうした時代の到来を自らに期す。
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