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古井由吉とともに、日本語も封じられる。 [観趣庵-詠聴に遊ぶ草庵-]

 メディアの世界で禄を食む人間としては、たとえば緒方貞子さんだったり、中村哲さんだったりが亡くなったときに、大いにその業績を顕彰し、一つの時代の区切りを嘆いてみせるところなのだろう。直接彼らを知っていないとしても、あたかも十年来の心の友人であるかのように語る人々の虚言が飛び交う業界には少々うんざりもしているが、それがこの世界で手付きを立てる最低限の倫理だということもわかる。

 しかし私だって、単にシニシズムなわけではない。人の訃報を聞いて言葉を失うということがないわけではない。ひとつの世の区切りを思わないでもない。木曜日がそうだった。古井由吉さんの訃報だ。NHKの夕方のニュースで聞いた。そして『仮往生伝試文』を読み返した。

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 奇遇だが、ちょうどその日の朝、本屋に足を運んで、駐車場代が浮く2000円くらいの本がないかと物色していて買ったのが『詩への小路』だった。長らく読みたかったのだが手が出ず、今年初めに文庫になったことを知ってさっそく、嬉しい心持ちで買ったのだ。そして訃報を聞いた。

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政治と政治ゲーム。 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

安倍首相に千葉市長が苦言、全国の小中高校に休校要請表明で「社会が崩壊しかねません」

 政治的なポジションを語る気はさらさらないのだけれど、この千葉市長の言葉は「政治」である。政治ゲームではなく。
 ひとつの政治的判断をすれば、それはさまざまなところに余波をもたらす。その余波までどのように吸収し、対応するかまで設計して初めて政策であり、政治だ。自分が対応を批判されて、その批判に呼応するためにメッセージをブチあげるのではおよそ政治とは言い難い。
 子供を抱えて、いつも学校に送り出してから仕事をしている人の収入はどう保証するのか。医療関係者で子供がいる場合、医療という公共目的に従事すべきか私的事情を優先していいのか、そのバランスはどうなるのか。そこで生まれた損失を、どうするのか。
 もちろん、政治だから、思い切って強引に決断することもある。しかし決断までいとまがなかったといえばそうかもしれないが、それはすべての権力ならばどんな権力でも使える理屈だ。それをもう一段高めてこそ、本来あるべき権力の姿に近づく。

 今回の議論で目立つ誤解は、日本という国は「政府への信頼がない」国、ということだ。それが仕方がない面がある。世界の歴史を見ても、敗戦国というのはたいがいそうだ。日本にしても、75年前に終わった戦争で、海外の「人道的」問題をさておいたとしても、あたら300万の国民の命を散らし、しかも戦争に負けたという酷い政府なのだ。そういう政府を信頼しないのは当然で、さらにいえば、ドイツがそのことを前提に「いかに信頼に足る政府、国家という体をなすものとして取り戻していくか」ということを善くも悪くも進めたことに比べれば、戦後日本政治の歩みはアメリカの軍事力の傘のもとほとんど何もしてこなかったに等しい。これは主として政権を担ってきた自民党への批判ではなく、野党も、マスコミも、市民もまた多くはこの構図のなかで生きてきたのである。
 だから、政府が指示できない。今回もあくまで「要請」だ。ほんとうに公立学校が閉鎖されるかどうかはそれぞれの地方の教育委員会が決める。政府が弱腰で責任回避している、ともいえるけれど、そうしたことを強制できない国であることを日本全体が三四半世紀にわたって求めてきた結果でもある。
 だからといって、政治が何もしなくてもいいわけではなく、政治の責任が回避されるわけでもない。そういう弱い政府だからこそ、懇願しなければならない。今の状況が国難かどうかはわからないが、何度か前の総選挙にあった「国難突破解散」のころよりは十分国難的なのであり、ここはやはり、首相自らがマスコミを使って、対策会議の冒頭撮りだけでなく記者会見で直接国民に訴えるべきところではないかと思う。
 それがないのでは、政治も民主主義もゲームでしかない。庶民のリアリティは、日常の生活にあるのだということをなんとか、もう一度呼び起こしたい。
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三好長慶は大河ドラマになりうるか [春秋庵-日々の消息を語る草庵-]

 日曜日、大阪のNHKに隣接する歴史文化博物館で、「三好長慶」のシンポジウムをやっていた。
 この企画を侮ってはならない。三好長慶である。三好長慶が何者か知っている人はそう多くはないだろうが、目下徳島県出身者を中心に、三好長慶を大河ドラマに、という運動が起こっているのである。NHKの大河ドラマはもちろん、ドラマであるとともに、一種の公共事業的な側面を持っており、主人公となればその出身地や本拠地に観光客が押し寄せる。いや、現在では押し寄せるというほどはないかもしれないがたくさんやってくることに変わりはない。
 戦国の三英傑と明治維新という看板の時代を除けば、大河の主人公となれる人物はそう多くはない。その時代であったとしても、真田幸村や何やら、ということになる。かつては「これは大河の主人公にならないだろう」と思われていた人物という意味でいえば、太平記の足利尊氏や、いまやっている明智光秀など、歴史上の「悪者」がたまに主人公になることがある。
 しかし、尊氏や光秀が主人公になれるのであれば、三好長慶がなってもいいのではないか。そう思うのが地元の人情なのかもしれない。ましてや再来年は北条義時である。なぜ三好長慶ではないのか。そう思うのが、地元の世論なのかもしれない。
 とはいえ、下克上という時代を画して登場し、そしてみずからも下克上の海に沈んでいった三好長慶をテーマにするのは難しい。なにせ、大河ドラマの主人公は一年間、描かれなければならない。

 南北朝の混乱期のなかで生まれた足利幕府は、その前の鎌倉幕府、あるいは後の江戸幕府に比べて特異な存在である。室町幕府、というより足利幕府と呼ぶのが相応しい。もう少しいえば、「足利閥幕府」なのである。
 足利氏は、遡れば清和源氏かつ源氏の勢力を坂東に築いた源八幡太郎義家に端を発する。源氏の嫡流はその次男義忠に継がれ、それが源頼朝に至るわけだが、四男義国は上野国足利荘に土着し、そこを本貫とした。同族には後に新田義貞を生む新田氏もある。
 この足利氏はその後面白い歴史を歩む。嫡流、源頼朝が挙兵した際にはもちろんともに戦い、新設された鎌倉幕府のなかでも源氏将軍の一族(御門葉)として重きをなした。しかしじきに源氏将軍家が断絶し、北条執権家が他の有力御家人たちを次々と滅ぼして得宗専制体制を築くなか、源氏の事実上本流となった足利氏もその標的になってもおかしくなかった。しかし足利氏は、北条得宗家ならびに有力な一族と姻戚関係を築き、嫡流は北条腹から出すということで北条氏に忠義を尽くした。その歴史が変わったのが足利尊氏である。尊氏は足利嫡流ながら母親が北条氏の出ではなく(尊氏の母方は藤原氏末裔の上杉氏であり、このことが後に関東管領から越後の雄・上杉謙信につながっていく)、鎌倉幕末の動乱期に京都で反北条の兵を挙げることにつながった。その後、ご承知のように尊氏は後醍醐天皇にも背を向けて北朝を建て、南北朝期の混乱を生きていくことになる。
 この混乱期に活躍したのが足利一門、すなわち「足利閥」であった。もはや源氏の棟梁となっていた足利嫡流に次ぐ名門であった斯波氏、新田氏庶流でありながら尊氏に同心した山名氏、足利家の所領であった三河国に生じた畠山氏、一色氏、渋川氏、細川氏、吉良氏、今川氏などである。こうした経緯により、足利幕府では、三代義満を除けば将軍の権力が弱く三管領・四職に制せられることが多かったが、足利一門という意味では、ほぼ日本の軍権をこの一族が手にしたに等しい。日本のほとんどの領国の支配者である「守護」を足利一族が手にしていたのだ。

 応仁の乱以後、将軍権力は名実ともに弱体化し、長く管領として将軍に仕えてきた細川氏が政元の代に到り、将軍義材を退けて幕府の実権を掌握する。
 この細川氏が、守護として主たる領国としていたのが阿波国(今の徳島県)であり、細川家の棟梁が京都で仕事をしている間領国を仕切っていたのが家宰たる三好氏であった。
 政元死後、跡目争いから細川家の内紛が起きるに乗じて家宰であり守護代でもあった三好氏は一度は細川主家に圧されたものの長慶の代に至って本家を破る。
 この、守護代が主君である守護を破って領国を支配することを「下克上」という。いまでは、プロ野球のクライマックスシリーズで下位チームが上位チームを破ることにすら使われる言葉だが、この本来の意味での下克上を果たしたのは三好長慶、美濃の守護土岐氏を滅ぼした斎藤道三らになる。その後、尾張守護斯波氏を滅ぼした守護代織田氏、近江守護京極氏を滅ぼした浅井氏、越前守護斯波氏を破った朝倉氏、などである。
 その意味では、三好長慶は本来の意味での下克上の先駆者だったのだ。そしてその活躍の舞台が京・大阪であったことが、彼の活躍を華やかにもし、また見えなくもした。主家である細川家はもちろん、将軍とも戦いながら、畿内一円と淡路四国に大領国を張った長慶は文字どおり一代の英傑であった。しかし、豪勢な果実が転がる畿内の領国争いは必然的に一族の内紛を生む。長慶の死後、三好政権に翳りが見えると、将軍足利義輝は上杉・武田・朝倉などに呼びかけ将軍権力の再建を目指すが、これを三好一族は見とがめてクーデターを起こし、将軍義輝を居城二条城にて忙殺してしまう。さらには有力な家臣でありこれまた一代の奸雄であった松永久秀とも対立。さらには、三好家の家宰である篠原長房が主家を凌ぐ権力を持ち始めるという歴史の皮肉にも見舞われる。
 この内紛のさなか、流浪していた将軍家のひとり足利義昭が、ついに尾張守護代織田信長の援助を受けて岐阜から京都へ向かう。三好政権はこれと戦うも敗れ、義昭の将軍就任をもってその栄華は幕を閉じた。

 なんともいえぬ一代記である。ドラマチックではあるが、複雑かつどろどろとしすぎていて、ちょっと大河ドラマにはなりにくい。一話のドラマなら可能性がある。どの地方にも、こうした英傑があるなかで、せっかく畿内・京都をその舞台にすることができながら、長慶と三好氏のドラマはまさに主家細川家、そしてそのさらに主家足利家の内紛と衰退をなぞるように、しかも短期間で進んでいった。
 しかし、このような一代の英傑がどの地方にもあったことを、今の日本が知ることは意味があるだろう。多様性とは単なる価値観の違いではない。歴史と文化、しかしそれらは誰がどのように形作っていったのか。上記に加えて、北条早雲くらいまでは歴史になっているが、それ以外の下克上、たとえば伊達輝宗、龍造寺隆信など成功しなかった下克上を描くという豊かさも、この、今の日本に必要なのだろう。
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世界標準が、巨龍の尻尾をつかむ全日本卓球。 [観趣庵-詠聴に遊ぶ草庵-]

19日に男女シングルスの決勝がおこなわれた全日本卓球選手権。素晴らしい試合だった。その素晴らしさを一言で言えば、全日本の決勝で、「ガチ」のワールドスケールの試合が行われた、ということだ。男女とも。

事前に告白しておけば、優勝した男子・宇田、女子・早田はいずれも私の「推し」選手だ。なぜ「推し」なのかといえば、二人とも、試合の仕方が、世界的なプレースタイルを純朴にやるタイプだからだである。無理なく、世界標準のプレーができるとこに、可能性と魅力を感じずにはいられないのである。そう、日本卓球は、日本で勝つことと、世界で勝つことが別次元である次官が長かった。その時代を打破してくれる可能性を感じさせてくれるのだ。

もう語られなくなった過去のことをいえば、世界の卓球は長らく、オフェンシブなペンホルダー、オールラウンドなシェイクハンド、ディフェンシブなカットマン、という3タイプの対抗戦だった。特に1980年代は、

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異様なシステムの蠕動と記者会見 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

とにもかくにも、奇妙なことが起きている。

年の瀬、その奇妙さを強烈に感じたのは、郵政3社の社長の辞任会見だった。鈴木前総務事務次官から、同じく鈴木前上級副社長への情報漏洩が問われているさなか、郵政の社長は「調査はしない」と言い切ったのだ。そしてその理由が、「あちらは次官が辞任して、こちらは上級副社長が辞任するので、イーブンだから」すなわち、相討ちだからお咎めなし、というのである。

この世界には、郵政という総務省というステークホルダーしかいないのだろうか。税金が使われている、と声高に主張するつもりもないし、すべてを国民に明らかにすべきだというつもりもないが、郵政という事業には支払いをして参加しているわけである。つまらないことでお金が浪費されているのであれば、所定の郵便料金を払っている方がバカバカしくなってしまう。

同様のことは多くある。年明け、通常国会に出てきた不祥事の疑いを向けられている議員たちは、支持者や党、支援してくれる有力議員には詫びのコメントをだしたが、国民にはなかった。政治は、自分の支持者たちだけのものなのだろう。去年の関西電力の高浜原発をめぐる3億円あまりのやりとりを聞けば、それが犯罪でなかったとしても、そんな金が動いているのなら電気料金を下げてくれればよかったのだ。

馬鹿馬鹿しいことばかりが相次いでいく。そしてその質問が、なぜ記者会見でも、紙面でも、画面でも飛び交わないのか、という奇天烈さも積もり積もってゆく。
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7年かけてラ・カンパネラ [春秋庵-日々の消息を語る草庵-]

日曜日に放送していた、TBS「さんま・玉緒のあんたの夢かなえたろか」で、リストの「ラ・カンパネラ」を弾く佐賀の海苔漁師、というのが出てきた。なんでも、ヒマさえあればパチンコに行っていたのを奥さんに止められ、ぼうっと家で時間を持て余していたところ、フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」を聞いて驚き、楽譜も読めないのにネットのピアノロール動画で運指を覚えてただただ7年、なんとひととおり弾けるようになったという話。

いろいろ、面白い話だ。なぜ田舎の海苔漁師が突然ピアノを弾くことになったのかといえば、奥さんが音楽教師であった、ということとか、わずか10分弱のVTRにするにはもったいないネタだった。どうやって運指の方法を学んだのか、とか、聞きたいところは山のようにあったが、大事なのは、こうした「いい話」を消費させるのではなくて、人を励ます話に仕立てるというのがこれからのマスメディアの基本なのではないか、ということだ。

どうもワンパターンに番組が作られすぎている。スタジオで視聴するゲスト出演者たちも、単にお客さんと一緒になってネタを消費しているだけだ。しかしそれではネットコンテンツに負けてしまう。いまだに多くの人がパチンコに足を運んでいる。田舎の大人の道楽といえばそれぐらいだ。そうやって日常の憂さを晴らすことが悪いことではもちろんないけれども、しかし、人が何か充実するという方法もある、ということを見せていくのが、これからの「放送倫理」になるのではなかろうか。

それにしても、7年かけたからといって弾けるようになる曲ではない。もともと、天才だったのだろう。フジコ・ヘミングが「漁師にならなければよかったのに」と言っていたが、人の世はほんとうに面白い。
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大勲位死す [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 中曽根元首相が、101歳という行年で死去した。まずもって大往生と呼んで差し支えない。
 非難する人も、賞賛する人もいる。人間誰しも、100年も生きれば誰も知らないことを知っているし、誰もしたことのない経験をしているものだから、賞賛されても悪いことではない。一方で、その因縁は果報になったり悪報になったりして、現在に益もすれば害もするものでもあって、難じる人がいることもわかる。
 それが賞賛と批判で終わっては、しかしながら、日本の歴史を見失う。ちょっとそういう思いがあって筆を執った。

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犬に噛まれる [春秋庵-日々の消息を語る草庵-]

 私は、よく犬に噛まれる。
 人生で、五度噛まれたことがある。
 一度は瀕死の重傷を負った。小学校1年生の時だ。全身で何針縫っただろう。右手には縫い痕が残る。顎と鎖骨に噛み付かれた。身体が運悪しく90度回っていたら、喉を噛み切られていたかもしれない。もう死んでもよかったのだが、死ななかったのは何かの縁起だ。
 これほど噛まれると、逆に相手が憎めなくなる。前世のどこかで、狗だったのだろう。あるいはよほど犬に縁がある人生を送っていたか。今の中野サンプラザの辺りは、犬公方徳川綱吉公の世には犬を飼う施設だったのである。あのあたりで暮らしていたのかもしれない。
 ジャータカに出てくる犬ではないが、束縛の紐を断ち切る頃合いを注意深く見ていたい。
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安倍首相の「スキャンダル」 [観趣庵-詠聴に遊ぶ草庵-]

 安倍晋三首相が、史上最長任期を前に危機に立たされている。
 これまでひどいことがたくさんあった安倍政権だが、野党がどんなに追及しても、マスコミがどんなに批判しても、彼の政権が揺らぐ、というほどのことはなかった。野党がその代替になるほどの力を持ち得ていない、という評価もあたってはいるが、より抜本的には、安倍首相には「金と女」のスキャンダルの要素がからっきしないからである。下世話な話だが、歴代政権のほとんどがこのどちらかのスキャンダル(金がほとんどだが)から倒れてきたことを思えば、世間はやはり、公文書記録の廃棄といった国家の根幹を揺るがすことよりもこちらのほうに反応するのであって、これは不思議でも何でもない。
 世のふつうに生まれた人が政治家を志し、ましてや一国の宰相をやろう、なんてことになれば、ふつうその人が工面できる上の金が必要になる。だからどの政治家にも、どんなに清廉でも、篤志をもって世話をする支援者がいるものだが、それがどんなに高潔な篤志であっても、やはり金のやりとりというのは何らかの意味で人を縛っていき、後ろめたさにもつながる。これは自民党だけでなく、民主党政権のときだってそうだった。しかしどうやら安倍首相は、みずからが宰相として振る舞うためにあまり金の苦労をしていない、金のために頭を下げる必要がなさそうなのだ。それを補うくらいの金は持っていそうだ、ということだ。
 しかも彼の場合、時代がよかった。

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キッチュな国民像 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 つい最近だが、用事があって司馬遼太郎を読み返した。『峠』を読み返し、『故郷忘じがたく候』を読み返し、大好きな『韃靼疾風録』を読み返した。『韃靼疾風録』は、18歳の折、大学入試センター試験に持っていった本だ。それで、千夜千冊に半藤一利の『山縣有朋』が上がっていて、また司馬遼太郎を思い出したりしていた。
 なぜ司馬遼太郎を読み返していたか、といえば、彼の語り口、文字通り、文章でありながら、少し濃の入った声で、情感を理で語るような語り口を、所用で描かねばならぬ拙文に盛り込もうと思い、自分の中に司馬の文体を入れようとしたからであった。しかしながら、どうもうまくいかない。うまくいかないのは私ではなく、読み手がうまくいかない。司馬の文体に入っているものが、私にはしっくりくるのだが、どうも読み手にはしっくりこないのではないか、ということだ。
 千夜千冊では、このように書いてある。

  維新の有司たちは近代国家を用意し、「天皇の軍隊」をつくり、統帥権という決定を確立した。そのなかで軍政を掌握し、昭和軍国主義の装置を仕込んだリーダーとして頭角をあらわしてきたのが誰だったかといえば、それが山県有朋なのである。
 山県は日本にはめずらしい絶対主義型の首謀者で、一貫してビスマルクに憧れていた。日本に軍政をもたらしたのは、大村益次郎とそれを継いだ山県だ。その点については司馬遼太郎の『花神』(上中下・新潮文庫)などの説明だけではまにあないことが、いろいろある。明治の前歴を刻み込んだ「軍人勅語」「教育勅語」も、山県のもくろみから生まれた。

 そう、司馬だけでは間に合わないのだ。

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