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それでも、貴ノ花の味方 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 私は、何があっても貴乃花の味方なのだ。
 今回の退職騒動は、もちろん相撲協会にも多くの非があるのだろうし、そこを追及することはしてほしいと思うけれども、相撲協会も組織である以上、組織の鬱屈というものをある程度は抱えざるを得ないのであって、そこに個人の純情をぶつけても、解決策は見いだせないことがある。これは組織が悪で個人が善だ、と言ってしまったところで、人は社会を形成しなければ生きていけない以上、解決不可能な問題で、そこに抜本的な解決を求めようとすれば革命しかなく、そうでなければ折り合いをつけていくしかない。その、「折り合いをつける」というのもけっこうな勇気なのだ。
 そして貴乃花の今回の振る舞いは、いささか子供じみてもいる。「告発が事実無根だと認めなければ一門への所属を許さない」というようなことを誰かが言ったのは事実なのかもしれない。ここまで関係がこじれた以上、有形無形の圧力と受け止められるようなことがあった可能性も極めて高い。だが、それをもって、自分の良心との闘いの末に退職を決意した、というストーリーが美しくみえるほど、相撲協会が悪人なわけでもないというのがいまの状況だ。ただただ、断絶の溝が深く、貴乃花自身が協会に対して己の立場を語ったこともなさそうだ。

 だからこそ、である。私はあくまで貴乃花の味方だ。

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何かが剥がれた日露交渉の後で [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 自民党総裁選は、やはり想像よりも石破さんが票を取った。私は党員でもサポーターでもないので、政党の総裁選に何か口を挟むというわけではないのだが、今年に入ってからの、とりわけ通常国会以降の政権運営についていえば、いささか市井の人々の気分が遠ざかることもやむをえない、そんな状況だったのだろう。
 あまり注目されてはいないが、やはり、ウラジオストクでロシアのプーチン大統領から平和条約を吹っかけられたときに、にやにやと苦笑いしてしまった総理は、世論には「あれ?」という感じを持たれたのではないか。外交は、総理の得意とするところだ。日本の総理は替わりすぎるので、外国からは安定した政権でないかぎりしっかりした話はできない、と思われても仕方がないのだが、いよいよ憲政史上最長になんなんとする安倍政権が長く続いていることは、投じている額が半端ないなどいろいろ批判はあるにせよこれまでの政権ではなかった成果を出していることは認めてもいい。
 その外交で、である。

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タクシーのいない東京 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 東京にはタクシーがいない。

 少々の小ぶりでも、もうタクシーを捕まえられない。朝の9時頃は最悪だ。
 タクシーが多ければタクシー乗り場に並ぶ意味もあるが、タクシーがいなければ誰も乗り場には並ばない。明らかに長時間待っている他人を差し置いて、どんどんと車線を遡り、他の客が待望の一台をかっ攫っていく。日本人は苦しいときにも謙譲の美徳がある、などというが、少なくとも東京の朝についていえば嘘だ。

 それにしても、もうタクシーもいなければタクシー運転手もいない。昔はほとんど見なかった女性ドライバーもみかけるようになったが、それでもタクシーがいない。タクシーがあっても運転手がいなければ走らない。決定的な人手不足だ。自動運転なんてまだまだ先、いっそ児童に運転でもさせるほかないだろう。

 東京という街のインフラストラクチャーが、うまく回っていない。オリンピックまで2年という声のなかで、軋んでいる。いいか悪いかは別にして、世界のどこでも都市は人を集め、そして集まってまだ社会的なリソースのない新人たちがタクシードライバーをやる、という構図でできている。ニューヨークなら黒人、ベルリンならロシア系だ。そうでなければ、ロンドンのように強固な職人組織を持つしかない。
 しかし東京は、職人組織は壊してしまった。観光客はたくさんやってくるが、外国人が増えたわけではない。やってきた外国人はコンビニの店員という、タクシードライバー以上に簡単な仕事でそれなりの収入を得る。
 誰が、この街のデザインを、意識と無意識、意思と影の間でするのか。それに長けた政治家はいないのか。今の人では難しい。でもそれがないと、どこかで究極の破綻を呼び起こしそうな気がしてならない。いつまでも見つからないタクシーを明治通りを歩いて探しながら考えた。
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公共性という土俵 [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 言論は多様であるべきだし、その多様な言論が角突き合わせて論争をすることも構わないのだが、昨今わかってきたことは、それにしても、その多様な言論が論争をする、一定の言説空間を構築するためには、ある程度の土俵を共有していなければならない、ということだ。同じ土俵の上でならば相撲になるが、土俵を共有しない多様な言論は単なる相対主義に陥る。あなたと私は意見が違うのね、で終了してしまい、その先の「で、どうしましょうか」という、”あなたと私”が構成する社会にとって意味のある議論にはならない。
 そうした状況下で政治をやろうとすれば、言説の内実に関係なく、どの言説がより多数派になるか、というゲームにしかならない。もちろん民主主義である以上、多数派を獲得するためのゲーム的な側面はあるけれども、土俵を壊してゲームをするのはルール違反であり、過激主義だと思われていた。しかし昨今は、ゲームに負けそうになるとこの土俵を壊して、数で勝負するケースが増えている。この数というのも、かつては「影響力」という言葉でその左右する要因が語られていたが、このSNS時代においてはもはや「感染力」といったほうが的を射ているだろう。
 この”土俵”のことを、おおまかには「公共」と呼んでもいい。今日はその話である。


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オウムが開いた扉の闇の重さ [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 1991年は、思えば愉快な年だった。それまで18年間、田舎でしか暮らしたことのなかった青年が東京に出てきて新しい友人と出会い、どこまで手を伸ばせばいいか見当もつかずにいけるかぎり走り回っていた。愉快でないはずがない。
 それは笈を背負って出てきた青年だけでなく、社会全体もそうだった。1989年のベルリンの壁崩壊という、世界構成のためのそれまでの基礎カリキュラムが一挙に崩壊し、しばらくは茫然自失としていた社会全体が、老いも若きも新たな世界へ向けて走り出したのだ。バブルで土地を買い漁る者もいれば、ワンレンボディコンに身を包みお立ち台で扇子を回す者もいた。札束でタクシーを止める者もあれば、現実世界の崩壊から精神世界に沈積する者もいた。
 1991年はそんな年で、東京に出てからわずか半年、なぜか学園祭の実行委員会を任された僕は、そんな狂騒が一挙にキャンパスに傾れ込んだような学園祭を仕切ることになって走り回った。そのある日の白眉は、オウム真理教と幸福の科学が、キャンパス内の広場を挟んだ二つの建物で同時にイベントをやる、ということだった。何か起きないはずがない。実行委員会としても警戒態勢に当たっていたのだが、果たしてそれは起きた。彼らが尊師と崇める麻原彰晃が教室に入り、なにやら始めた途端、電源が落ちたのだ。落とした人間がいた。混乱を鎮めるべく教室に乗り込んで話し合いを求めたが、白い僧服の体の、禿頭で痩せた男が狂気の眼差しでこちらに近づき、「聖者を邪魔する者は地獄に堕ちる」といって私の襟首をつかんだ。まったく心胆寒からしむるとはこういうことか、と思った。
 それ以後も、後始末でオウム真理教との少々のつきあいは続いた。信者の友人もいて、ずいぶん入信を進められた。その結果、麻原彰晃と面と向かったこともある(話はできなかった)。麻原彰晃は宗教家、というよりも、私がまだ田舎にいたころからテレビにもよく出ていたので”有名人”を見ているような感じだった。実際、オウムはそれほど危険な存在だとは当時見なされていなかった。ヤバいのは合同結婚式や高価な壺の売りつけで悪名高かった統一教会のほうだったし、1991年というのはオウムが選挙に出て敗れ、凶暴化が進み始めたころだったのだ。
 そして1995年を迎える。テレビ報道で、あのとき襟首をつかんだ僧服の男が新見智光という名であることを知った。その日私は、サリンがまかれた地下鉄の2本前の電車に乗っていた。

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大杉漣さん [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 大杉漣さんとは、かつて一度だけ、ナレーションの仕事をお願いしたことがある。
 バイプレーヤー、と呼ばれることが多いけれど、このジャンルの俳優さんたちに共通の、優しいけど物静かで、しかし粛々と仕事をしていく人だった。小生、一介のテレビ番組のディレクターに過ぎないけれども、それをきちんと「監督さん」として扱う感じがあった。

 300の顔を持つ、と報道されていたけれども、そういう人でもないように思う。引き出しが多いタイプではない俳優さんだったろう。器用という感じでもなかった。ただ、いくつかしっかりしたパターンを自分のなかに持っていて、それをきちんと組み合わせることに長けた人だったように思う。
 そのコンビネーションの上手さがテレビ俳優として、そして芯に据えた一本気な、自分と役のギリギリを攻める力が映画俳優として、彼を彼たらしめていた。合掌。
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「働き方改革」と「業務改革」と [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 「働き方改革」が、この政権の今の最大の課題である、という。北朝鮮のミサイルなど国際問題を含め、国難を突破するための解散だったように思うが、そうなれば、「働き方改革」が最大の国難であったようだ。 とはいえ、「働き方改革」という言葉自体がミスリードである面は否めない。より正確には「働かせ方改革」であるべきだし、「業務改革」でもある。労働者の志や現場の改善になすべきことは多いだろうが、それに甘えてきた組織や産業の構造が変わらなければ(もし変われば労働者も痛い目に遭うだろうが)困難だ。困難、というのは、今の政府の考え方が絶対的に間違っている、というのではなく、労働法制と整合性がとれない、ということなのだ。

 現在の労働基準法が、世界的に見て特別労働者に手厚い、というわけではないが、しかし、労働法制というものはそもそも、労働者に手厚くなっているものである。実質的に共産主義国家がこの地球上から消滅してしまった現在となっては、このことの意味がわかりにくくなっているが、この根本から問題を読み解くべきなのである。
 少なくとも自由主義諸国においては、契約というものは、独立した個人と個人の間で結ばれ、いったん結んだ契約は守るべきもの、ということになっている。そして契約主体の双方は、それぞれに対等で、納得ずくで契約を結んでいる、という前提に立っている。そして「会社に就職する」といった就業契約なども「労働契約」の一環であるから、会社と一個人は対等な契約を結んでいる、ということになっている。しかしながら、現実には会社という組織と一個人は、自由な、資本主義社会においては、対等であるというケースはほとんどない。

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ポジショントークが拗れた先に [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 日韓問題はひどいことになった。昨日の韓国の会見は、およそ外交というものからみて玉虫色というか、不可思議な内容になってしまった。これならいっそ破棄を求めた方がよかったろう。破棄を求められないわけではない。これは国家間の約束なのだから、国家間の段取りで破棄を求めればよいのだ。もちろん、堂々と、というわけにはいかない。ヤクザの一家に例えるのはよろしくないだろうが、「うちの前の親分が道理も弁えず、御宅と約束を結んでしまい、御宅にもご迷惑をおかけしやした。どうぞ道義に照らして、一度あの約束はチャラにしてやっておくんなまし」と頭を下げれば、話はリスタートできないわけではない。
 今日は拗れるに決まっている日韓関係について書く。もちろん、そのためには従軍慰安婦問題に触れないわけにはいかないが、従軍慰安婦問題について書き続けるとキリがない。なので、この問題については一点だけ書いておきたい。

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繰り返す大衆社会に、次の一手を(2018年展望) [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 いまどき、「やわらかな保守」だの「穏健なリベラル」だの、つまりは自分の思想は中庸である(が、他人は間違っているか極端主義だ)、ということをいわんがために好きなようなラベルを自分に貼る人が多い。しかしそもそも保守とリベラルが対立軸になってしまっているところで言葉と概念の混乱が起きているわけで、あまりいい概念を構築し得るとは思わない。
 ここではリベラルという言葉は措いて、保守という言葉を扱ってみる。保守思想の根本は、もちろんナショナリズムに近い感じもあるが、そう簡単でもない。保守思想を論じるときの根本は、人間の力を、人間が歴史を切り開き、社会を変革する力を信じるかどうかにある。これを全面的に信じれば信じるほど保守からは遠ざかり、懐疑的であればあるほど保守思想に近くなる。この場合、右ー左という概念とはまた関係ない。よく扱われるナチスは右翼には相違ない(共産党を潰したわけだから)が、ナショナリズムを通じて人間の力を信じることにおいては、保守とはほど遠い。
 では、保守思想が人間の力を信じることに懐疑的だ、ということとはどういう意味かというと、人間はその力が及ばないところで、さまざまな力の影響を受けるものだ、その影響のなかで社会を構築していくものだ、というふうに捉えるということである。
 保守の対立概念はおそらく革新であるが、これは共産主義が典型である。つまり、人間は自分が拠って立っている歴史的・社会的・経済的・文化的な基盤を科学的な目で把握し、分析し、問題点をつかんで、そこをみずから打破していくことができる、という考え方だ。だから最終的には、人間の理性に基づいた共通の、普遍的なものをめざすことになる。保守思想はそれができない、人間はその国や共同体の(ここが保守思想とナショナリズムが近いところだ)歴史や伝統、あるいは生まれ育った風土や経緯を根本的に打破することはできない。ゆえに、一言で言えば、「歴史は繰り返す」とみて、それを前提に社会や経済や文化を運営していこうというのが保守的な思想である。
 前置きが長くなったが、「歴史は繰り返す」という話を、年頭にしておきたい、というのが今日の主眼だ。

 メディア、特に大衆メディアを考えるときに、普遍的ではなく、保守思想的に捉えることが有効ではないか。そう思ったのは、7年前の東日本大震災のときのことだった。震災自体、有史未曾有の大災害であったわけだが、それを伝えるメディア状況全体の狂奔もかつてなかった。インターネットが普及し、コミュニティラジオなどの技術もあるなかで、そのぶん、有効でもあったし、狂奔でもあった。
 いや、しかし待てよ。ほんとうにかつてなかったのか。そう思ってみたときに、「かつて」の例があった。それが関東大震災である。

 関東大震災のとき、実は、少なくとも東京において、大衆文化はそれまでにないほど爛熟していた。新聞や雑誌が人々の手に届くようになり、メディアも発達していた。
 そこを関東大震災が襲う。

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大衆民主主義を追う一年に [随思庵-徒然思いを語る草庵-]

 今年もとうとう暮れとなった。毎年、その度合いが強くなっているようにも思うのだが、一年があまりにも慌ただしく、「今年一年を通じて」というコンセプトが持ちづらくなっている。乃木坂の「インフルエンサー」は確かに流行ったけれど今年の代表曲、という感じではないし、世相をさらったわけでもない。清水寺の貫主が「北」と書いてみても、それが今年を象徴するという感じにもならない。
 ただ、いちばんインパクトが大きかったのは何か、と問われれば、やはりあの選挙であり、小池都知事だった。豊洲をめぐる「アウフヘーベン」に代表される、いったい政治をしているのかしていないのかわからないが支持だけは圧倒的に高い状況、そしてそれを借りて政界再編なり政権交代をしようとした者たち、政党ならば当然といえる基本的な政治姿勢の違いについて「排除」という言葉を使った失態、そして野党だけが再編され、与党は着々と次の仕事をしている。ニュースは再編された野党の、先行きのない未来ばかりを追いかける。
 ポストモダーンな(もちろん揶揄的な意味だ)、そしてポピュリスティックな時代に、小池都知事の国政への再登壇は鮮やかだった。政策としては何の対立点も見出せない(安倍政権ほど経済的にはリベラルな政権はない)なかで、男と女、という対立軸を担ぎ出してあわや風をおこそうとした姿は鮮やかだった。しかし、実体のなさはどうしても次の展開を見出せない。今から10年前の政権交代の時は、小沢一郎の「お金を振りまく」という具体性があったが、憲法改正の是非が有権者の投票行動の判断基準になるとは、少々民主主義を見誤ったのかもしれない。
 みなが「正しい民主主義」を謳う。しかし誰も当たっていない。大衆民主主義を、大衆社会における公共性を誰も設定できていないのだ。ヨーロッパで確立された民主主義を輸入して世界は民主主義をかたちにしたが、公共概念を包含する大衆民主主義社会の本質を、いまだ確立し得ていないことは世界でも明らかになってきた。
 来年は、大衆民主主義とは何か、がテーマだ。そのことを一年かけて、弛むことなく追求していきたい。
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