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憲法記念日その1:護憲と立憲の違い [道心庵-迷いに導を探す草庵-]

昨年の夏から、立憲主義という言葉が飛び交っていて、そのなかで迎える初めての憲法記念日になる。各紙ともいろんな記事が飛び交っているが、この議論はもう行き詰まるところまで行き詰っている。いったい、憲法を守っているのは誰なのか、憲法を守るということはどういうことなのか、憲法を守りたいのかそれとも憲法を守ることで何かを守りたいのか。

ふつう、立憲主義というふうにいえば、憲法に書かれた文言や理念をもとに国家を運営していくことを意味する、と考える。少なくとも、このことをこの稿の出発点にする。

その意味では、一切の情緒や「(思想ではない)思い」あるいは政治的に誰かを利するか害するか、といったことを排除して考えれば、まず理解すべきは、「護憲」と「立憲」は違う、ということだ。

日本国憲法には改憲規定がある。すなわち、改憲(この言葉自体にもあまりにも意味が多くありすぎるが、ひとまず)の姿勢を示すことは、護憲主義には反するが、立憲主義には反しない。まずはこの点がいま世の中でぐちゃぐちゃだ。護憲もまた一理ある政治的な立場なので、そのことを否定はしないけれども、立憲主義とは違う。

さきにここで余話を付け加えておけば、もし改憲規定のない憲法、などというものがあるとすれば、それは近代国民国家、近代民主主義社会における「憲法」とは意味が違うものである。憲も法も「のり」と日本語では読み、その意味で言えば典、規、矩、則などもそうで、(近代国家とは関係なく)一般的に人が守るべきルール、すべての人に通用すべき思想、という意味に感じられるかもしれないが、近代国家の憲法は英語でConstitutionというように、国家の政体を意味するものである。もし憲法が一般的に、普遍的に人が守るべきルールであるならば、有権者の主権を超えて力の強い「国家」というものがそもそも存在することになってしまい、近代民主主義社会のあり方と矛盾する。

このあたりの議論は微妙で難しいところもある。憲法という理念はどの国にも通用する普遍的なものでありながら、憲法はそれぞれの国によって違うという個別的なものである、という、憲法、ひいては近代国民国家(それによって構成される国際社会)というシステムが抱えるそもそもの矛盾でもあるが、その矛盾を抱えるということが近代システムのなかに生きていく、ということでもある。しかしここではそこに深入りせず、改憲自体は立憲主義に矛盾しない、改憲を容認する立憲主義はありうる、ということを確認しておこう。
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