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祝!清峰準優勝詳説 [Baseballdiary]

この歳になって高校野球に一喜一憂するというのも情けない話だが、それでも、地元長崎県の清峰高校の活躍には、仕事中も気が気でなかった。何しろ、公立普通校が野球の名門校を次々と破って決勝まで残ってきたのである。決勝戦は、肉体的にも精神的にも力尽きた感があったが、ご愛敬というものであろう。清峰という名前を聞いて、私立だろうと思った人が職場にも何人かいたようだ。だがこんな洒落た名前がついてからまだ10年も経っていない。僕が長崎にいた頃は、北松南という湿気た名前の田舎高校であった。おそらく入試の倍率が1を切る、低レベル校だったはずである。

北松南は「ほくしょう・みなみ」と呼ぶ。かつて長崎県の北半分は松浦氏という一族の領地だった。松浦氏は水軍を率いて東シナ海はもちろん南シナ海にまで出張っていた豪族で、その起源はおそらく平安時代に遡り、鎌倉時代には源頼朝から直々に守護に命じられた名門である。鎌倉幕府の守護から室町の守護、戦国大名を経て江戸の藩主として生き残った士族はわずかにこの松浦氏と薩摩島津氏を数えるのみである。松浦氏は戦国時代には平戸に拠点を定めて交易で栄えた。まだ長崎が港町として整備されていなかった頃、ザビエルもルイス・フロイスも平戸を経由して上京している。

余談が長くなってしまったが、そういうわけで、かつて松浦氏が活躍した長崎県の本土北半分と五島などの島嶼部を「松浦郡」と呼ぶ。近代の市郡ではこのうち本土部を「北松浦郡」、島嶼部を「南松浦郡」と呼び、それぞれ「北松(ほくしょう)」「南松(なんしょう)」と略してきた。その「北松」の南側にある学校だというので、北松南という名前になっている。

かつてはこの北松地域に優良炭田があり、炭鉱業で栄えた。村上龍の『69』を読んだ、あるいは映画を見た人なら、主人公ケンの親友で、男前で人徳もあるが何しろ佐世保においてすら訛っている「大方言」を喋り、ボタ山で育ち、カフェオレとコーヒー牛乳の区別がつかない「アダマ」の出身地がこのあたりだ。もちろん栄えたのは昭和40年頃までで、いま、かつての国鉄松浦線、現在の第三セクター松浦鉄道で走っても、それといわれなければボタ山と自然の山の区別はつかない。そんな田舎町の学校が、木っ端みじんに粉砕されたとはいえ準優勝したのだから、大したものである。

大敗を言い訳するつもりはないが、それにしても、清峰のエース有迫くんは投げすぎた。延長14回も含め、700球以上嘆いている。横浜高校の後半戦は、疲労した投手に対するバッティング練習のようであった。特に早稲田実業の試合は見ていて痛々しくなった。なにしろ、相手は岡山の関西高校と24イニングもやってきているのである。エース級の投手が500球近く投げ込んでいるとなれば、横浜高校の勝利は堅い。トーナメントでやるのが可哀想、というものである。

かつてはエースの連投は、高校球児の努力と根性と汗と涙と青春を語るにもっとも象徴的であった。徳島商・板東英二と27イニングの投げ合いで敗れた魚津商・村椿投手には「椿一輪今散る」の名文句が与えられたし、伝説となった決勝での引き分け再試合、三沢商・太田幸司には当時の黄色い声援が群がった。とはいえ、時代はだいぶ開明的になり、投手に与える連投の負担が忌避されるようになってきた。再試合規定はかつて18回だったのが15回に短縮されたし、無制限に連投を命じる監督は軽蔑されるようになった。高校球児のレベルも上がり、試合を作ることができる2~3名の投手がベンチにいることも珍しくなくなった。

とはいえ、である。選手の肩を守ることが大会の目的ではない。やはり勝負事である以上、フェアな状態で戦ってほしい。片方が一試合分多い状態というのはやはりフェアではない。こう考えれば、延長15回の再試合というのもまだまだ十分な措置とは言い難い、と試合を見ていて思った。

高校野球のステータスを下げることになるのかもしれないが、例えば、延長は12回までにして、タイブレークの導入を考えてはどうだろうか。タイブレークは、テニスなどではおなじみだが、要するに延長を、決着のつきやすいかたちにするのである。ソフトボールでは延長戦はワンアウト満塁でのタイブレークとなる。ソフトボールは野球よりも点が入りにくいために満塁なのだが、たとえばワンアウトランナー二塁でのタイブレークなどは、得点の可能性が五分五分だし、ベンチワークを発揮する余地もある。何より、選手を過度の疲労から保護し、戦いに際しては事前の平等を確保する。

WBCの優勝をどう受け止めるかは個人の自由だが、野球もただの興業という時代ではあるまい。野球選手には野球選手の人生があるのであり、それを尊重しないことには観客としてのスタンスも定まらない。ましてそれを高校生に求めるのは酷というものである。かつては、ドラマチックな試合をある種“演出”することが、毎日新聞なり朝日新聞なりの売り上げに直結していた時代もあっただろうが、それだけで観客が納得する時代でもあるまい。そのあたりの、古いロジックを打破していかないとならないだろう。


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