十六歳のころ [道心庵-迷いに導を探す草庵-]
十六歳の女の子が、母親にタリウムを飲ませて意識不明にしてしまったり、十六歳の少年が、ストーカーまがいの思い込みから同級生の女の子を刺し殺す世の中になった。
異常な行動だとは思うが、しかし、さして異常と受け止めていない、僕自身も。この件に関してはほとんど新聞も読んでいないし、あまり珍しいことだとも思っていない。そうなっている自分に気がついたというべきか。
すでにダブルスコアになった三十二歳から、十六歳のころを思い返す。何をしていたか?
毎日東の山から日が昇り、西の山に日が沈む。それもまだ、いまから考えると新鮮に見えていたような思いがする。まさか自分が二年後に、故郷長崎を離れようなどとは思いもよらなかった。
だから特に目的があるというわけでもなく、日々卓球に明け暮れていた。相手陣奥深いショットが決まると快感だった。それから、勉強もそれなりにしていた。物がわかることは、まあそれはそれとして、日々充実していたとまでは言わないが、重みを持っていたように思う。
少なくとも、人を殺そうとは思わなかったな。
自分が死のうと思ったことがないわけではないが。
それでいまの子たちは、どうしていとも簡単に人を殺すようになってしまったのだろう。タリウム少女は名を呼ばれて「その人はもういません」と答えるようだし、ストーカー少年は朝気持ちよく目覚めて体操なんかしているようである。
人を殺してはいかんと思うが、その議論に踏み込もうとは思わない。しかし、昔は、社会に与えられていたのかそれとも自分で作り出していたのか、それなりのロマンがあった。現実の静止に走る余裕もなかったほどである。
十六歳だったときに比べて、何と日常と化した、生死。
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